2 東ウジュムチン旗
シリンホトから東ウジュムチン旗に向けてひたすら走る。周りは全くの草原である。 | ||
モンゴルとの国境を目指していたが、時間が足りないということで、クリアステイ山を観光。 | ||
観光用のゲルの中はこんな感じ。 | ||
目的地の今夜我々が泊まる予定のゲルに到着。手前の本物らしげなゲルは調理に使われ、残りの真新しげなゲルが宴会用と男女の宿泊用。 | ||
現実には、宿泊用のゲルは何故かほとんど使われなかった。 | ||
朝の景色、彼方に隣家が見える。 | ||
現在、はゲルは住まわれず、レンガづくりの住宅と畜舎が用意されており、風力発電もある。 | ||
「敖包(オボ)」 まちはずれに石を積んだオボがある。 | ||
◇ゲルの生活 ゲルで生活していたモンゴル人たちは、中国社会の人民公社に組み入れられ、その後、改革開放の時代に人民公社が解体、草原が区画割りされて敷地の中に住宅を建設することになる。ゲルは、キッチンとか納屋とか観光用に使われている模様。 我々の泊まったゲルでは、ご主人が羊をさばいてくれて、それを奥さんが腸詰などの料理をする、羊は基本的に塩ゆで。羊を解体する技術の継承が難しいということであった、なぜなら、子供たちが教育を受けるには、幼稚園から都会にでて寄宿舎生活をする。 内モンゴル大学モンゴル学学院のバヤモンド学院長は「伝統文化を守りながら、近大化を実現することの難しさ」を言われていたのが印象的であった。 |
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◇パオ観光 ゲルかパオかの呼称の問題があるが、2000.11.28の朝日新聞の切り抜きを持っていた。これによると内モンゴル自治区でのパオに泊まる観光ホテルが初めてできたのは1982年だそうだ。 |
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